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音楽理論は「自分らしく遊ぶためのツール」です
「自分らしく遊ぶって何?」と思われる方もいらっしゃると思います。
たとえばよくあるピアノ教室だと、
1.演奏する曲を決める(クラシック等)
2.ピアノは楽譜通りに弾く
3.指番号を決め、それに従って演奏する
そこに「自分」の入り込む余地はありませんよね?
(そんなことはない!というクラシック関係者のご意見もあるでしょうが、
どちらにせよ僕からすると「無いに等しい」と思えます)
たとえば砂場でスコップを手に持って遊ぶとします。
スコップの持ち方、手の角度、すくいとる土の量まで決められて楽しく遊べるでしょうか。
あるいは、自動車の運転。
車の免許を取るにあたって必要なのは「運転技術と交通規則を覚えること」です。それが分かってさえいれば、進入禁止区域以外はどこへ車で行こうが個人の自由です。どこへ向かうかまで決められ拘束されると分かっていて免許を取る人がどれだけ存在するでしょうか。
そうです。最低限のルールや操作技術をマスターすれば、車を「楽しく走らせる、遊べる」んです。自分らしく遊ぶ。そういうピアノ弾きがもっと増えてほしくて僕はピアノ寺子屋を立ち上げました。
それを目指すために楽しく学ぶルールやピアノ操作のコツ。これが「音楽理論」なんです。
ピアノ寺子屋では、こういう(一見難しそうな)理論をやさしくお伝えします。
なぜ「ピアノを適当に」弾けないのか?
「楽譜がないと何も弾けない」何度直接、この言葉を聞いたか数えきれません。
クラシックを何年も習ってきた方や、何人も生徒を持ち指導されている先生方の言葉です。
だからといって、それを否定するわけじゃありません。
クラシックの演奏家の方たちがいなければ昔の遺産を生で聴くことができなくなってしまいます。
しかし、「ただ音楽を楽しみたい」「ピアノを弾きたい」方であればクラシックを習う必要はありません。
なぜなら「楽譜通りに演奏する」能力と「音楽を創る、または適当に自分らしく弾く」能力は全く別物だからです。
「写経が得意な人が、お経を創れるか?」無理ですよね。
でも「あなたの日記」は書こうと思えば書けるはずです。
それには何が必要ですか?
義務教育で習った国語の「文法」ですね。
江戸の寺子屋で多くの子供たちが読み書きやそろばんなど社会生活で役立つ実践的な知識を学んだように。
ピアノ寺子屋は、あなたにそんな「音楽の文法(あそび方)」をお教えできる“稀な教室”なのです。